花咲いたブタちゃん走り ●マンガ・アニメの感想・考察・レビュー●

毒舌・批判・絶賛あり。作者さんの意図とか考えを想像するのが好・き!

「period」 全5巻 吉野朔実 感想 暴力とは何か、をとことんつきつめた作品

「period」 全5巻 吉野朔実 感想
 
完結してたんですね。一気読みしました。
大学生のときか…1巻と2巻までは読んでましたが
3巻全く出ず…
すっかり忘れていました。

 

period (IKKI COMIX)

period (IKKI COMIX)

 

 

吉野朔実は大好きで、特に「恋愛的瞬間」や
「透明人間の失踪」のような構成技法
そのままぱくって同人誌描いたりしていました。
 
 
この作品は、ネットの感想とかを見ていると
「中途半端に終わった」とか
「作者は時代の変化についていけなかった」とか
言われていましたけど、
私は美しく完結した作品だなあと思いました。
 
 
ここまで漫画で痛ましい暴力は
萩尾望都の「残酷な神が支配する」に次いでかもしれません
 
 
 
 
 
 
■あらすじ
 
小学生のハルカと4歳の弟ヨキ。(どちらも男)
二人は日常的に父親から暴力を受けていた。
父親は大学教授で理知的で、およそそのような印象を
持たせない風貌だったが、
その理知的さを使って、ただの暴力以外にも、
人とことごとく言葉で傷つけたりもするのだった。
 
話は母親が失踪したことから始まる。
 
暴力の終わらない日々に、
父親の兄弟が借金を作って逃げ込んで来る。
 
主人公兄弟の二人は、そんな大人の事情と理不尽さに振り回され続ける。
 
ただ二人はそれなりに図太く、
施設暮らしになったり
学校でイジメにあったりしても、黙々と生き続けるのだった。
 
そんな二人の幼少から青年期までを追いかける話。
 
 
 
■テーマは「暴力との向きあい方」
 
テーマとしては「暴力との向きあい方」なのだと思います。
作中では、様々な暴力が出てきます。
 
父親の暴力(主人公二人)、子どもへの虐待、放置(まいら)、
自殺へ追い込む、言葉で人を傷つける、殺害(光圀の弟)、
セクハラ、噂(小栗恭子)、「ブス」と言われ続ける(まいら)、
施設の子供への差別、無関心(華ちゃん)、ネットいじめ(榊)、
 
などなど。
 
 
最後になってくると、「失明」「地震」などの
どうしようもない理不尽がやってきます。
ここまでくると、「あ、なんか解決しようがない。」
と思ってきます。
 
吉野朔実は難解な表現をする人なので、うまく私も
まとめられないのですが、こういうことを言っているのだと思います。
 
「暴力や理不尽は良くないと言われるけど、
 100%防ぐことはできない。
 見舞われたら、各々で向きあっていくしかない。」
 
 
事実、後半青年(16~18歳くらい)になると彼らは、
自分達で解決する術を持つようになってきます。
 
 
毒には毒をと言わんばかりに空手(力の暴力)を覚えるヨキ、
バイトで自活する光圀(保護からの独立)、
結婚して幸せになろうとする光圀(憎しみからの脱出)、
ブスだった自分を整形で捨てたまいら(問題の根本的解決)、
ただ受け入れて自分を戒めるハルカ(問題との同居)。
 
 
この世の地獄とも思えるような環境で生きてきた彼らにとっても、
なんとかなったり、ならなかったりする、
そうやって生きていくしかない希望と絶望の間欠。
 
 
そういうことを描きたかったんじゃないのかなあ。
 
 
最後に残された救いとしては、
「荷をともに負う人がいれば少し楽になる」ということ。
 
やっぱり孤独が人を殺すのだな。
 
 
 
■物語を読み解く ハルカの罪と罰のバランス
 
…というと大げさですが。
 
結局主人公はハルカくんだと思うんですね。
 
そこで考えると、ドストエフスキーの「罪と罰」と、
話はわりと似ているのかしらと。
 
 
(わたしは罪は罪(暴力)、罰は罪悪感・後悔なんじゃないのか?
 と解釈しています)
 
 
さんざん「暴力」を描いてきて、
その被害者であり続けたハルカ。
 
でも彼は一度暴力をふるったことがある。
それがキッカケで父は死んだ(とハルカは思っている)。
 
暴力を受け続けてこようと、
暴力を与える側になることは恐怖でもある。
 
「自分は人に加害するような人間だ」
「また誰かを殺してしまうかもしれない」
「自分がされたのと同じように人を傷つけるのかもしれない」
 
という恐怖。
 
 
この恐怖が罪と罰でいう「罰」なのでは。
 
 
 
で、暴力が防ぎようのない、
どうしても起こってしまうものだとしても、
世の中で暴力だけにならないのは、
人間の中に根源的な罰があるからなのでは。
 
 
この作品は暴力と対処、希望と絶望、
生と死のバランスを描きながら、
罪と罰のバランスも描いていたのだな、と最後思った。
 
 
 
■ヨキのドッペルゲンガーとは何だったのか
 
結論はまいらの言うとおり、ハルカにとっての守り神だった。
で、それはどういう意味か。
 
たぶん、ハルカの戒め役だった、ということだと思うんですよね。
父に似た暴力的な言葉を使うヨキ。
暴力を奮うヨキ。
同じ境遇で、もしかすると父親を殺したのは彼だったのかもしれないヨキ。
 
 
特に施設でのエピソードでは、
ハルカはヨキの“やりすぎ”な報復に、
恐怖を覚えていました。
 
立場が逆だったかもしれない弟であり、
また父と血が繋がっていて父と似ているヨキ。
 
この両輪がそろっているヨキは、
ハルカに対して「ヨキを加害者にしちゃいけない」という優しさと
「父がいつか弟にのりうつって自分に復讐に来るのではないか」
「そうなったときいつか自分は弟を殺すような人間なのか」という恐怖を
常に思い起こさせる“スイッチ”だったと思います。
 
 
思うに、やっぱり暴力っていうのは、
しなくて済むならしないほうがいいじゃないですか。
 
作者はハルカのことを人間の良心の象徴みたいには
するつもりはないでしょうけど、
「世の中の罪と罰のバランスはこうして(恐怖によって)
保たれている」というバランスの象徴にしたかったのだと思う。
 
 
話ちょっとずれるかもしれないですけど、
一度悪いことやってみると、「意外にバレないじゃん」て
癖になったりするじゃないですか。
 
学校に遅刻するとか、親の財布から500円ぬきだすとか。
 
はじめはすごくビクビクしながら「うわ、やっちゃった」と思うのに、
何回もやってると「全然大丈夫じゃん」と余裕になってしまう。
 
そうすると、「恐怖」がなくなっているじゃないですか。
恐怖に慣れた人間てコワイですよ、
取り返しがつかないことになっても延々と罪を繰り返してしまう。
 
 
遅刻とか親の金パクるくらいだったら(※金額によりますが)
大人になっていく過程で事の重大さを理解したりすると思いますが
暴力という実はお手軽で快楽性の高い解決策は
事の重大さを理解したときには取り返しがつかないかもしれない。
 
 
ハルカはヨキの存在によって、
その恐怖から常に逃げられなかった
=恐怖を失わずに済んだ。ヨキが守り神だった。
 
 
 
■ハルカが失明した理由
 
これが一番難しい。
ですが第一話の一言目
「チカチカっとして見えなくなるが、またすぐ見えるようになる」
的な表現とリンクしているので、ハルカくんが失明することは
一番はじめから決定していた。
 
個人的には理由は三つくらいあるかな?と思う。
 
 
①最強の理不尽・最強の暴力
「起きちゃうんだからしょーがない。」というメッセージがあるとすれば
これ以上防ぎようのないものもない。
 
 
②荷を人に背負わせられる
他の理不尽や暴力では、ハルカを人を頼らせるに至らなかった。
ハルカは一人で抱えてなんとかできる人だ。
物語としては、「人に頼る」という最強の選択肢をハルカに与えることで
「理不尽・暴力の対処」という一見ネガティブそうなテーマが
救いや希望に変容する。
 
パンドラの箱の最後に残ったもののように。
 
 
また、一方的に背負わせるとそれもまた「暴力」だが、
互いに承諾し合って背負ってもらうことは、
「暴力」ではなく、「頼る」というコミュニケーションになる。
 
 
③「見えなくなる」という象徴
暴力とは「何かが見えなくなる」ということだ、という象徴かもしれない。
何かというのは恐怖とか、後悔とか罪悪感とか想像力とか
そういうことだと思います。
 
「暴力とは何か」というテーマだからこそ、
物語の冒頭に出てきたのかもしれません。
 
 
 
■母の存在
 
母というのは子供にとって、いないだけで恐怖をあたえるもの。
母がいなくなってから物語が開始、
始終行方不明、物語の不気味さを表す装置です。
 
作中、「父は写真を一切とらない、過去に捉われるから」
という箇所がありましたが、
写真=過去と考えると、
 
最後に母親の写真でこの物語が締めくくられたのは
「母は過去のもの。もういないものだ。」と
父親によって明示されたということ。
 
それにより、「行方不明」という不気味さがぬぐわれ、
「もう恐れなくていい。」というメッセージだと思います。
 
 
 
 
■まとめ
 
すみません、長くなってしまいましたが。
この物語は、象徴的に見える出来事が淡々とおき続けて、
最終的にはなんなの、ハッピーエンドなのかよくわからん。
 
という作風です。
 
 
ただテーマとしては一貫して
「理不尽はなぜ起きるのか」「暴力とは何か」
「理不尽・暴力にどう対処すればいいのか」
 
ということが描かれています。
 
対処は二つ描かれます。
 
一つは、罰(恐怖・後悔・罪悪感など)を忘れないこと。
もう一つは、人に頼る、ということです。
 
 
そうやって人々は歴史を、社会を
あやういバランスで存続してきた。
 
という物語だと思います。
じっくり考えたおかげでスッキリしました。
読んでくださった方、いたらありがとうございます。
 
 
 
 
 
 
■※超余談です※
 
 親の金バクるは良くないけど、金額による。
 一応世帯内での金パクりは違法ではないらしいです。
 まあ、3000円までなら許容範囲?だし、
 1~3万円くらいになってくると厳重注意レベル?
 数十万円から数百万なんていったら、
 違法ではなくては犯罪者予備軍ですね。
 
 まあ、私は週約1000円ずつを10年くらい(中学~大学)やってたんで、
 トータルだと50万円の計算になるけど、
 実際は100万円超えると思う。
 
 でも毎回の単位は1000円~多くて3000円だから
 犯罪者予備軍ではない、という理屈。
 おこずかいもらってなかったし…(自己正当化)。
 
 24歳くらいのときに、私ももう社会人で一人暮らししていた。
 母が「子育ては金がかかる。家計簿つけててもなぜか一致しない。
 絶対使ってない、と思ってても、思っている以上に金がなくなる」
 と言うので
 
 「ごめん…実はパクってたよ」
 と自白したら
 「そうだよね!?おかしいと思ってたんだよね」
 と許して(?)くれた。
 
 許してくれたら許容範囲内。(勝手な理屈…)
 
 ちなみに妹は高校時代、
 母の通帳から100万円くらい3年で使いこんでたので
 それはすごい怒られてた。
 で、毎月5万円ずつ返済し続けて最近ようやく完済していた。
 
 
 母も昔(わたしが小・中学生の頃)は今でいう虐待に近いことを
 よくしており、私はしょっちゅうご飯が食べられなかったり
 殴られて血流したり、今でも傷が顔に残ってたりする。
 
 こんなだったから姉も妹も金をパクってたのかもしれん。笑
 
 ただ私が高校生にもなってくると、
 殴られても痛くなくなってくる。
 親が子を暴力で支配できる時代が終わる。
 
 代わりに服を捨てられたり、ジョジョ全巻捨てられたりと
 母子の諍いは、私が一人暮らしするまで続いた。
 
 (ちなみに私は人として、金パクはしていても、
 母のことをババアなんて呼んだことは一回もないし、
 母を殴ったこともありませんよ。
 これはやったら絶対良くないラインだと思って。
 でもよく「親の義務だろうが」という一番親が言われるとムカつく
 言葉は多用してましたが。)
 
 
 親が子を虐待したり暴力がふるえるのは、
 親が子の保護者であるとき。
 
 子が独立すれば暴力から逃げることができる。
 
 むしろ、20~30歳の年のタイムラグを考えれば
 子が10代後半にもなれば、腕力の強さでは立場が逆転する。
 
 更に子が社会人になったり結婚でもすれば、
 親は子に介護をすがるようになり
 「保護者関係」まで逆転してしまう。
 
 そうなると親は年をとったのもあって丸くなってくる。
 (もともと育児によってためていたストレスを
 ストレッサー(子供)に返していただけだと考えられる)
 
 
 暴力とは立場が逆転する恐れのある解決方法だ。
 そして容易な分、相手にも容易に復讐される可能性がある。
 
 親と子というのはその象徴的な関係性かもしれない。
 
 超余談、おわり。